田中城

田中城(たなかじょう)
静岡県藤枝市田中1丁目
Mapion

--本丸跡・西益津小学校--
別名 亀甲城・亀井城
交通 JR東海道本線「西焼津駅」から徒歩20分。
築城年代 1570年(元亀1)
築城者 武田信玄
形式 丘城
主な城主 依田信蕃・酒井忠利
元々この地には田中城の前身、徳之一色城が在った。1570年(永禄13)1月27日、武田信玄は花沢城を攻略すると、続いて徳之一色城を攻め落とし、山西地域を支配下に置いた。信玄は徳之一色城を増築し、城名を田中城と改め、以後高天神城等、徳川方諸城に対する要衝として、武田方諏訪原城等の支城の中心的役割を担った。
1573年(元亀4)信玄没後、勝頼は田中城を叔父一条信竜、次いで依田信蕃に守らせ、家康は8度攻めるも落とせなかった。
しかし1575年(天正3)長篠合戦後、諏訪原城を攻略した家康は更に東、持舟城付近まで戦線を広げ、田中城は次第に孤立するようになる。1582年(天正10)2月20日、徳川勢に包囲され、城内外で激戦が行われたが、江尻城主穴山信君(梅雪)が徳川方に寝返ると田中城は完全に孤立し、3月1日依田信蕃は開城し、甲州に引き上げた。
その後城主は目まぐるしく変わり、1730年(享保15)本多正矩が入封すると、藩主家は定着し、1868年(明治1)まで続いた。
一説に家康はこの田中城で鯛のテンプラを食べて腹痛を起こし、その後駿府城で亡くなったといわれている。
城址碑 三之堀・土塁跡 二之堀跡
平島二之門跡 三日月堀跡�� 三日月堀跡��
三之土塁跡 家老都築屋敷跡 作事役所跡
東木戸跡 Mapion
田中藩下屋敷
Mapion
旭伝院・田中城移築門

参考文献 「現地案内板」
                 「日本城郭全集 人物往来社」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2008年9月
2017年1月