![]() 静岡県静岡市駿府公園 --東御門-- |
| 別名 | |
| 交通 | JR東海道本線「静岡駅」から徒歩15分。 |
| 築城年代 | 1589年(天正17) |
| 築城者 | 徳川家康 |
| 形式 | 平城 |
| 主な城主 | 徳川家康・内藤信成 |
| 1585年(天正13)徳川家康が松平家忠に命じて築城を開始、1589年(天正17)完成した。家康は浜松城から居城を移すが、翌年関東移封となり、駿府には豊臣秀吉家臣である中村一氏が入城する。 1601年(慶長6)内藤信成が入るが、1605年(慶長10年)4月、将軍職を秀忠に譲った家康が駿府城を隠居城と定めると、翌年近江国長浜城へ移った。 1616年(元和2)家康没後、徳川頼宣が1619年(元和5)紀伊国和歌山城へ移るまで在城し、一時番城となるが、1625年(寛永2)徳川忠長が入城した。 1632年(寛永9)忠長改易後、駿府は直轄地となり、明治に至るまで城代が置かれた。 1868年(明治1)徳川家達が城主となり、城代屋敷に入り、翌年駿府は静岡と改称され、間も無く駿府城は払い下げられた。 ●今川館(府中館・駿府館) 駿府城築城以前、この地には駿河守護今川氏の居館が設けられていた。1411年(応永18)葉梨荘(藤枝市花倉)からこの地に移った今川範政により築かれると領国支配の中心となる。 1568年(永禄11)武田信玄による第一次駿河侵攻の際、12月6日甲府を出陣した信玄は、12月12日駿河に侵入すると、12月13日駿府に攻め入り、今川館は焼失した。今川氏真は朝比奈泰朝が守る遠江掛川城へ逃れた。同じ頃、徳川家康も遠江攻略を開始し、信玄と家康の間で大井川を境に今川領を切り取るという約束がされていた。しかし信玄が遠江への侵攻も開始した為、家康は信玄と断つ。また北条氏康・氏政が娘婿である今川氏救援と失地回復の為、薩た山に布陣し、家康と挟撃を計った為、形勢不利となった信玄は江尻城を築き、甲斐へ撤退した。 1569年(永禄12)三増合戦後、蒲原城を攻略した信玄は再び駿府を占拠すると、1570年(永禄13)1月、花沢城と徳之一色城を落とし、駿河を支配した。 今川館の位置については駿府城と同一地ともいわれるが、諸説あり、不明である。 |
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| 巽櫓 | 本丸東堀 | 本丸堀�� |
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| 本丸堀�� | 本丸堀から続く水路 | 徳川家康像 |
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| 天守跡 | 本丸南堀 | 本丸南堀石垣 |