![]() 静岡県掛川市下土方 --東から城址遠望-- |
| 別名 | |
| 交通 | JR東海道本線「掛川駅」からバス「土方」下車。 バス停から登山口まで徒歩15分。 |
| 築城年代 | 室町時代中期 |
| 築城者 | 今川範政 |
| 形式 | 山城 |
| 主な城主 | 小笠原長忠・岡部元信 |
| 戦国時代「高天神城を制する者は遠州を制す」と言われた要衝。築城年代については諸説あるが、1416年(応永23)今川範政により築かれたとされる。 今川氏の勢力が衰えると、武田・徳川両氏が攻防戦を繰り広げた。1569年(永禄12)今川氏の支城だったこの城を手に入れた徳川家康は、小笠原長忠を配し、2千の兵で守りを固める。 1571年(元亀2)武田信玄は2万の軍勢で攻めるも、守りが堅い為、落とせなかった。 1574年(天正2)5月、信玄の跡を継いだ武田勝頼は惣勢山に本陣を置き、高天神城を攻めた。長忠は家康の後詰も無く、又織田信長の援軍も期待出来ない中、1か月以上持ちこたえるが、6月17日開城した。これにより高天神城は遠江における武田方最大の拠点となった。 1575年(天正3)長篠合戦後、家康は攻勢に転じ、二俣城や諏訪原城を奪還、1578年(天正6)以降、横須賀城を築いて高天神城奪還に乗り出した。 家康は高天神城の周囲に6つの砦(獅子ヶ鼻砦・中村城山砦・能ヶ坂砦・小笠山砦・火ヶ峰砦・三井山砦)を築き、兵糧攻めを行う。 勝頼には高天神城の後詰の余力も無く、1581年(天正9)3月22日、兵糧が尽きた城兵900名は討って出、副将横田尹松・松木市兵衛らは山伝いに甲州に逃れたが、城将岡部元信を始めそのほとんどが討ち取られた。その後高天神城は廃城となった。 西峰・東峰にそれぞれ主郭を置いた一城別郭式山城。東峰は古い形態を残しているものと思われるが、西峰は武田氏の改修が見られ、馬出や規模の大きい横堀、堀切が良く残されている。 |
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| 井戸曲輪・かな井戸 | 西の丸 高天神社境内となる |
西の丸・馬場平間堀切 |
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| 馬場平 | 犬戻り猿戻り 天正9年落城時副将横田甚五郎尹松 らがこの道を通って甲州に逃れたと伝 えられ、甚五郎抜け道ともいう。 |
物見台下堀切 |
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| 袖曲輪 | 丸尾氏清・本間義清兄弟の碑 西峰の指揮を取っていたが穴山氏配 下鉄砲手に撃たれ討死した。 |
堂の尾曲輪 |
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| 堂の尾曲輪堀切 | 堂の尾曲輪下横堀�� | 堂の尾曲輪下横堀�� |
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| 大手門跡 | 三の丸 小笠原与左衛門が守っていた事から 与左衛門曲輪ともいう。 |
御前曲輪 |
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| 本丸 | 本丸土塁 | 徳川方大河内正局が天正2年落城の 際武田方に従わなかった為、7年間 幽閉されていた石牢。 |