![]() 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣 --本丸・天守台-- |
| 別名 | 蜷原城 |
| 交通 | 天竜浜名湖鉄道「二俣本町駅」から徒歩15分。 |
| 築城年代 | 1501〜04(文亀年間) |
| 築城者 | 二俣氏 |
| 形式 | 平山城 |
| 主な城主 | 依田信蕃・大久保忠世 |
| 今川氏支配の下、二俣氏・松井氏が城主となるが、徳川家康が遠江を支配すると鵜殿氏長が城主となる。 1572年(元亀3)三方ヶ原合戦の年、武田信玄は二俣城を包囲。家康家臣中根正照が守りを固め善戦するが、武田軍は城方が天竜川から井楼で水を汲み上げているのに気付き、上流から筏を流してこの井楼を粉砕する。水の手を断たれた城は間も無く落城した。 1575年(天正3)長篠合戦後、家康は攻勢に転じ、付城として鳥羽山城・毘沙門堂砦・蜷原砦・和田ヶ島砦を築き、依田信蕃が籠もる二俣城を包囲した。同年8月、諏訪原城が落城すると、12月二俣城は開城し、信蕃は高天神城を経て、駿河国田中城へ撤退、大久保忠世が城主となった。 1579年(天正7年)家康は織田信長から謀反の疑いで嫡子信康の処分を迫られると、この二俣城に幽閉後自害させている。 城址北にある清瀧寺には井楼が復元されており、また裏手には岡崎信康廟が建つ。 |
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| 二の丸・蔵屋敷間堀切 | 二の丸南虎口 | 大手石垣 |
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| 本丸枡形虎口 | 天守台石垣�� | 天守台石垣�� |
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| 天守台上から見る本丸 | 本丸北喰違い虎口 | 本丸・北曲輪間堀切 |
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| 北曲輪 | 竪堀 | 清瀧寺・岡崎信康廟 |