![]() 奈良県生駒郡平群町久安寺 (大阪府八尾市大字服部川) --高安城倉庫址碑-- |
| 別名 | 高安山城 |
| 交通 | 西信貴ケーブル「高安山駅」から徒歩10分。 |
| 築城年代 | 667年(天智天皇6) |
| 築城者 | 天智天皇 |
| 形式 | 朝鮮式山城 |
| 主な城主 | 松永久秀 |
| 660年(斉明天皇6)百済が唐・新羅連合軍に敗れ、滅亡すると、百済遺臣らは友好国である倭国に救援を求める。倭国は百済再興の為、援軍を送るが、663年(天智天皇2)唐・新羅連合軍に白村江の戦いで敗れた。 西からの唐・新羅侵攻の脅威にさらされた倭国は防衛体制の整備を行い、海に近い那津にあった官衙を大宰府の地に移すと、664年(天智天皇3)対馬・壱岐・筑紫に沿岸防備の防人と烽を置き、また大宰府防衛として水城を築いた。 次いで665年(天智天皇4)長門城・基肄城・大野城、667年(天智天皇6)高安城・屋嶋城・金田城を築いて備えるが、大陸からの侵攻は無く、次第にその必要性は薄れていったと考えられる。 城域については一説に大野城の3倍以上の規模ともいわれるが明らかではない。内郭とされる信貴山周辺は、戦国末期、松永久秀の信貴山城の拡張により改変されており、また高安山山頂付近も信貴山城の出城により変形している。 701年(大宝1)8月、高安城は廃されるが、山峰上部分には烽が残された。 ●高安山城(信貴山出城) 高安烽と重複する高安山城は、信貴山城の出城として松永久秀の時代の築城と考えられる。信貴山城からは河内方面の眺望は望めない為、大阪平野を一望出来る高安山城はそれを補う要地であった。 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 倉庫跡�� | 倉庫跡�� | 倉庫跡礎石 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 高安山城 本丸・二の丸間は道路に分断される 右・本丸、左・二の丸 |
二の丸 | 二の丸空堀 |