![]() 福岡県太宰府市国分他 東門跡地図 --土塁-- |
| 別名 | |
| 交通 | 西鉄天神大牟田線「下大利駅」他。 |
| 築城年代 | 664年(天智天皇3) |
| 築城者 | 天智天皇 |
| 形式 | 防塁 |
| 主な城主 |
| 660年(斉明天皇6)百済が唐・新羅連合軍に敗れ、滅亡すると、百済遺臣らは友好国である倭国に救援を求める。倭国は百済再興の為、援軍を送るが、663年(天智天皇2)唐・新羅連合軍に白村江の戦いで敗れた。 西からの唐・新羅侵攻の脅威にさらされた倭国は防衛体制の整備を行い、海に近い那津にあった官衙を大宰府の地に移すと、664年(天智天皇3)対馬・壱岐・筑紫に沿岸防備の防人と烽を置き、また大宰府防衛としてこの水城を築いた。 次いで665年(天智天皇4)長門城・基肄城・大野城、667年(天智天皇6)高安城・屋嶋城・金田城を築いて備えるが、大陸からの侵攻は無く、次第にその必要性は薄れていったと考えられる。 |
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| 中央が東門跡 | 水城瓦窯跡 | 土塁断面広場 |
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| 土塁断面広場付近土塁 | 西門跡案内板 |
西門跡�� |
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| 西門跡�� | 西門跡付近土塁 | 中央が水城 |