高取城

高取城(たかとりじょう)
奈良県高市郡高取町大字高取
Mapion
登山口地図

--天守台石垣--
別名      
交通 近鉄吉野線「壺阪山駅」から登山口まで徒歩40分。
築城年代 南北朝時代及び1584年(天正12)、1589年(天正17)
築城者 越智氏及び筒井順慶、豊臣秀長
形式 山城
主な城主 植村家政
標高584メートルの高取山に築かれた高取城は、備中国松山城・美濃国岩村城と共に日本三大山城の一つに数えられ、日本一比高の高い城として知られる。
高取城の創建については1332年(元弘2)越智邦澄によるという説があるが明らかではない。しかし南北朝時代、南大和に勢威を振るった越智氏の城の一つとして築かれた事は確実とみられる。はじめ越智氏が常時詰める城は貝吹山城の方であり、高取城はこれに対する出城とみられていたようだが、次第に本城的なものとして高取城は重視される様になった。
1580年(天正8)織田信長の一国破城令によって破却されるが、1584年(天正12)筒井順慶が詰城として定め、郡山城と共に工事が開始される。
順慶の死後、跡を継いだ定次が伊賀に移ると、豊臣秀長が入国し、高取城には脇坂安治、次いで本多正俊が入城し、1589年(天正17)秀長の命で本格的な工事が開始される。
1637年(寛永14)本多氏は3代で断絶し、1640年(寛永17)代わって植村家政が入部し、以後幕末まで植村氏の高取藩が続いた。
二の門外に置かれている猿石
飛鳥時代のものとされ、石垣材として
明日香村から運ばれ、この場所に
置かれたものとされる
水堀 水堀・二の門跡付近石垣
矢場門跡 国見櫓跡から北西の眺め 松の門跡
大手門跡 壷坂口中門跡 二の丸太鼓櫓跡石垣
十五間櫓門跡 新櫓下門跡 太鼓櫓跡石垣��
太鼓櫓跡石垣�� 天守台石垣 内側から見る本丸虎口
本丸 本丸天守台 北西から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                          「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2009年10月