岐阜城

岐阜城(ぎふじょう)
岐阜県岐阜市金華山天守閣
Mapion

--城址遠望--
別名 稲葉山城
交通 JR東海道本線「岐阜駅」から登山口まで徒歩40分。
築城年代 1201年(健仁1)
築城者 二階堂行政
形式 山城
主な城主 斎藤道三(利政)・織田信長
1201年(健仁1)鎌倉幕府政所の執事である二階堂行政が砦を構えた事に始まる。その後行政の子孫が続いて居城したと考えられ、光資の時、姓を稲葉と改め、稲葉山城と呼ばれるようになった。
1412年(応永19)土岐氏守護代である斎藤利永が古城を修築して住んだが、1445年(文安2)加納城を築いて移ると、しばらく廃城となった。
1539年(天文8)斎藤道三(利政)が修築して居城とするが、1554年(天文23)稲葉山城と家督を子義龍に譲ると、鷺山城に隠退した。やがて道三と義龍は対立するようになり、1556年(弘治2)長良川合戦で両者は争い、道三は討死した。
1561年(永禄4)義龍が病死するとその子龍興が跡を継ぐが、1567年(永禄10)織田信長に攻められ開城、城を逃れた龍興はその後越前朝倉氏の下で信長に抵抗するが、1573年(天正1)刀根坂で討死したという。小牧山城から稲葉山城に移った信長は名を岐阜城と改め、新たな本拠とし、1576年(天正4)近江国安土城へ移ると、子信忠が入城した。
1582年(天正10)本能寺の変後、清須会議が行われ、信長3男である信孝が入城するが、1583年(天正11)賤ヶ岳合戦後、自刃した信孝に代わり、池田元助、次いで輝政、豊臣秀勝、織田秀信が入城した。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の際、秀信が西軍に属した為、岐阜城は池田輝政・福島正則・浅野幸長ら東軍先鋒に攻められ開城、翌年天守や石垣は加納城に移され、廃城となった。
上格子門跡 馬場跡 天守台石垣
水の手道
1600年(慶長5)関ヶ原前哨戦の際、
東軍池田輝政軍はこの道を攻め
上ったとされる。
本丸井戸 大手道堀切

織田信長居館跡
織田信長像 冠木門 通路跡��
通路跡�� 下層遺構 館・庭園跡

参考文献 「現地案内板」
           「日本の城 小学館」
訪城回数 2
2006年12月
2017年4月