八木城

八木城(やぎじょう)
兵庫県養父市八鹿町八木
Mapion
案内板地図
--本丸南西櫓台石垣--
別名 石城
交通 JR山陰本線「八鹿駅」からバス「下八木」下車。
築城年代 鎌倉時代
築城者 朝倉高景
形式 山城
主な城主 八木氏・別所氏
1194年(建久5)〜1200年(正治2)頃、八木城主(土城)閉伊十郎行光は朝倉城主朝倉高清に攻め滅ぼされた。そして高清により新たにこの八木城(石城)が築かれたとされ、子である安高を城主とし、地名から八木氏を名乗らせたとされる。
以後八木氏は15代、約400年この地で栄え、室町から戦国時代には山名四天王(八木氏・ 楽々前城、鶴ヶ峰城主垣屋氏・鶴城主田結庄氏・竹田城主太田垣氏)の一人として重きをなした。
1580年(天正8)15代豊信の時、織田信長の命を受けた羽柴秀吉の第二次但馬侵攻により降伏、落城した。同年豊信は秀吉の因幡攻めに参加し、因幡国若桜鬼ヶ城を任されたが、因幡国鳥取城に吉川経家が入城すると、吉川元春の巻き返しによる攻勢を防ぎきれず、但馬に退去し、失脚した。
1585年(天正13)八木城には別所重棟が1万5千石で入城し、この時八木城は大改修され、石垣が築かれた。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の際、重棟の子吉治は西軍に従った為、改易となり、八木城も廃城となった。
南東麓、殿屋敷から城址遠望 南東尾根曲輪 「秋葉さん」が祀られる曲輪
三の丸 二の丸・三の丸間堀切 二の丸
本丸南尾根曲輪 本丸南石垣�� 本丸南石垣��
本丸南石垣�� 本丸 本丸西石塁
本丸上段櫓台跡 本丸東石垣 本丸北石垣
土城遠望 本丸北堀切
ここから尾根続きに登ると土城
土城へ続く尾根

参考文献 「パンフレット」
                          「ひょうごの城 神戸新聞総合出版センター」
                     「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2016年4月