立花山城

立花山城(たちばなやまじょう)
福岡県福岡市東区大字下原
Mapion
登山口地図

--石垣--
別名 立花城
交通 JR鹿児島本線「九産大前駅」から登山口まで徒歩30分。
地図の地点、「山ノ神」前から登山道があります。
築城年代 1334〜36年(建武年間)
築城者 大友貞載
形式 山城
主な城主 戸次鑑連(立花道雪)
1334〜36年(建武年間)足利尊氏に仕えた豊後大友氏6代貞宗の子貞載が築き、立花氏を称したといわれる。以後立花山城は大友氏の筑前における重要拠点となり、立花氏も「西大友」と呼ばれ、勢威を振るった。
戦国時代に入ると、有数の貿易港であった博多を押さえる立花山城を巡り、大内氏・大友氏・毛利氏との間で激しい争いが展開される。1568年(永禄11)立花鑑載は毛利元就に通じて大友氏に叛旗を翻した。これに大友宗麟は戸次鑑連ら3万を立花山城に差し向け、鑑載を自刃させるが、その後再び立花山城は毛利氏に攻略され、1570年(元亀1)ようやく大友氏の手に戻った。
1571年(元亀2)戸次鑑連は立花山城城督として入城すると、立花氏を称し、道雪と号するようになる。1575年(天正3)道雪には男子が無かった為、一人娘である�訐藺紊卜�花山城城督を譲り、1581年(天正9)高橋紹運の子統虎(後の宗茂)を婿として迎えた。
1586年(天正14)立花山城は岩屋城を攻め落とした島津氏に攻められるが、城主宗茂は良く守り、やがて豊臣秀吉勢の九州上陸の報に島津氏が退却すると、岩屋城や宝満山城を奪還した。
1587年(天正15)秀吉による九州征伐後、宗茂は12万2千石で柳川城に移り、代わって小早川隆景が入城するが、名島城を築くと、立花山城には城代として乃美(浦)宗勝が置かれた。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、中津城から黒田長政が名島城に入り、翌年福岡城の築城を開始すると、立花山城の石垣や用材は運ばれ、その後廃城となった。
立花山は「立花七峰」と呼ばれる七つの峰を持ち、それらには砦が設けられ、全体を立花山城と称していた。古図によると松尾山や白岳にも城が築かれていたようで、立花山山頂から縦走すると石垣や堀切が確認出来る。城域は広大で、周辺の峰にも遺構が多く残されている。
畝状竪掘群 堀切 本丸
本丸虎口 本丸下堀切 石垣��
虎口 石垣�� 石垣��
松尾山 松尾山下堀切 白岳山

参考文献  「現地案内板」
                           「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」 
訪城回数 1
2013年1月