![]() 京都府舞鶴市南田辺 --大手門-- |
| 別名 | 舞鶴城 |
| 交通 | 各線「西舞鶴駅」から徒歩10分。 |
| 築城年代 | 1580年(天正8)頃か |
| 築城者 | 細川藤孝(幽斎)・忠興 |
| 形式 | 平城 |
| 主な城主 | 細川藤孝(幽斎)・京極氏・牧野氏 |
| 築城年代は諸説あるが、1580年(天正8)8月、織田信長より丹後国を与えられた細川藤孝(幽斎)・忠興父子が宮津城と同時期に築いたものと考えられる。 1582年(天正10)本能寺の変の際、藤孝は明智光秀の要請を断り、剃髪して幽斎と号し、この田辺城に隠居した。そして忠興の正室で光秀の娘である珠(ガラシャ)を与謝の山中に隠し、豊臣秀吉に恭順の意を表した。 1600年(慶長5)関ヶ原合戦の年、田辺城は西軍に従う丹波国福知山城主小野木重勝を大将とした1万5千の大軍に攻められた。城兵は5百余であったが、堅城で容易に落ちず、50余日の籠城戦が行われたが、歌人として優れた幽斎の身を案じた朝廷の勅命により双方は兵を引き、田辺城は開城した。 関ヶ原合戦後、東軍に従った忠興が豊前国中津城に移ると、田辺城には12万3千石で丹後に入国した京極高知が入城した。 1622年(元和8)高知没後、丹後は宮津藩・田辺藩・峰山藩に三分され、田辺城には3男高三が入城し、1668年(寛文8)3代高盛の時、但馬国豊岡に移った。代わって牧野親成が入城すると、9代200余年、牧野氏が続き、明治維新を迎えた。 |
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| 本丸隅櫓�� | 本丸隅櫓�� | 天守台跡�� |
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| 天守台跡�� | 牧野家紀恩碑 | 本丸 |
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| 本丸井戸跡 | 本丸・心種園 | 堀跡�� |
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| 堀跡�� | 明倫館移築門 |
堀跡である水路 |
