1583年(天正11)賤ヶ岳合戦に勝利し、大坂の地を領した豊臣秀吉により、自らの居城として築城が開始され、城下町は拡張され、大城郭が完成した。元々この地には石山本願寺があったとされ、1580年(天正8)本願寺退去後、その跡地は織田信長により番城として一定の整備が行われていたと考えられる。 1582年(天正10)本能寺の変が起こり、山崎合戦後、清須会議により大坂の地は池田恒興の所領となるが、翌年賤ヶ岳合戦後、豊臣秀吉は恒興を美濃国大垣城に移し、この地に新たに自らの居城として大坂城を築く事とした。9月1日から着工され、工事は15年にも及び、秀吉没後に完成した。 1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、豊臣秀頼は摂津・河内・和泉国の内、65万石余の所領を有する一大名に過ぎなくなった。1615年(慶長20)大坂夏の陣で大坂城は落城・焼失し、豊臣氏が滅亡すると、伊勢国亀山城から松平忠明が10万石で入城し、1619年(元和5)大和国郡山城へ移ると、翌年から徳川秀忠により再築が行われ、壮大な城郭が完成する。以後明治に至るまで大坂城は徳川将軍の番城として続いた。 1868年(明治1)新政府軍の攻撃を受け、大坂城は落城した。 |