![]() 岡山県岡山市北区丸の内2丁目 --天守-- |
| 別名 | 鳥城・石山城 |
| 交通 | JR山陽本線「岡山駅」から徒歩25分。 |
| 築城年代 | 1532年(天文1)頃 |
| 築城者 | 金光備前 |
| 形式 | 平山城 |
| 主な城主 | 宇喜多秀家・小早川秀秋 |
| 1532年(天文1)頃、金川城主松田氏に従う金光備前により築かれたとされ、当初は「石山」の小丘陵に築かれた小規模な城であった。1558〜1570年(永禄年間)金光備前の子宗高が居城としていたが、1570年(元亀1)亀山城主宇喜多直家に攻められ落城、直家家臣が在城した。 1573年(天正1)直家自ら入城、改修を行いこの城を本拠とすると、城下町の経営に着手した。 直家没後、跡を継いだ秀家は豊臣秀吉に従い、備前・美作・備中東半を合わせ57万石4千石を領すると、1590年(天正18)より大改修を行い、東側の「岡山」に本丸を移すと、「石山」は二の丸に組み込まれ、城下町の整備が行われた。 1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、宇喜多氏が没落すると、筑前名島城から小早川秀秋が入城した。しかし秀秋は在城僅か2年で病死し、跡継ぎが無かった為に断絶する。代わって姫路城主池田輝政の5男忠継が備前一国を与えられ、幼少の忠継の代理として兄利隆が入城した。 1615年(元和1)忠継が没すると、淡路洲本城から弟忠雄が31万5千石で入城、その後も池田氏が城主として続き、明治を迎えた。 |
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| 城下を流れる旭川�� | 城下を流れる旭川�� 右側は後楽園 |
廊下門 |
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| 発掘された宇喜多期の石垣 | 月見櫓 | 不明門 |
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| 六十一雁木上門 | 天守礎石 | 本丸・天守 |
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| 天守閣 | 鉄門跡 | 石山城本丸跡 |