山中城

山中城(やまなかじょう)
愛知県岡崎市舞木町城山
Mapion
登山口地図

--馬出--
別名     
交通 名鉄名古屋本線「名電山中駅」から登山口まで徒歩20分。
地図の地点、南東麓に登山口(舞木口)があります。
また南西麓からも登山口(羽栗口)があるようです。
築城年代    
築城者 西郷氏または岡崎松平氏(西郷信貞?)か
形式 山城
主な城主 西郷信貞・松平氏
築城年代は不明だが、岡崎城主西郷氏または岡崎松平氏(西郷信貞?)により築かれたと考えられる。
岡崎松平氏を継いだ3代西郷信貞(松平光重の子または西郷頼嗣の子とも)は宗家である安祥城主松平氏と対立するようになる。1524年(大永4)5月、松平氏7代清康は風雨を衝いた夜襲により山中城を攻め落とすと信貞は大草に隠退、清康は安祥城から岡崎城に本拠を移した。そして1530年(享禄3)までに三河国を平定する。
1535年(天文4)尾張国に進出し、守山に布陣した清康が誤って家臣阿部正豊(弥七郎)に討たれる事件が起こると松平氏は急速に衰え、今川家の保護国的な扱いとなり、山中城は今川氏の西三河進出の拠点となる。1548年(天文17)小豆坂合戦の際には今川氏の重要拠点として「医王山」の名前で史料上の確認が出来る。
1560年(永禄3)桶狭間合戦後、松平元康(徳川家康)が奪取し、以後徳川氏の支城として改修が行われ、現在見られる遺構もこの時のものと考えられている。
標高196メートル、城山(医王山)に築かれ、東海道と吉良道との分岐点を見下ろす要衝に位置する。山頂の本丸・二の丸を中心とし、北西・北東・東に延びる尾根上に曲輪を並べ、各尾根先端に堀切を設けている。小規模ながら初期的な馬出も見られ、城域は広く、西三河を代表する山城である。
東尾根曲輪�� 東尾根曲輪�◆λ拈� 馬出
北尾根曲輪 東曲輪 本丸
二の丸 二の丸土塁 二の丸北曲輪
二の丸北曲輪下竪堀 二の丸北曲輪下堀切 西尾根曲輪
本丸・二の丸下腰曲輪 本丸・二の丸下横堀 本丸・二の丸下堀切(羽栗口)

参考文献 「現地案内板」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2020年1月