臼井城

臼井城(うすいじょう)
千葉県佐倉市臼井田
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--本丸・二の丸間空堀--
別名  
交通 京成本線「京成臼井駅」から徒歩20分。
築城年代 12世紀中期
築城者 臼井六郎常康
形式 台城
主な城主 臼井氏・原胤貞
12世紀初頭、千葉氏の一族臼井六郎常康が臼井に居を構え、14世紀中頃、臼井氏中興の祖といわれる興胤の代にこの城の基礎が置かれたと伝えられる。
1478年(文明10)12月、上杉方太田道灌は古河公方方である千葉氏22代孝胤を境根原合戦で敗り、孝胤は一族である臼井持胤・俊胤が守る臼井城へ敗走した。翌年1月、太田道灌と弟である図書助資忠、そして武蔵国石浜城主千葉自胤らは臼井城を攻め、資忠が討死するも臼井城は落城、自胤は千葉介に任ぜられるが、間も無く孝胤が奪還している。
1561年(永禄4)久胤の頃、里見氏家臣の正木時茂に攻められ、久胤が結城に逃れると、臼井氏が復帰する事は無く、その後原氏の居城となる。この頃原氏は千葉氏一族でありながら、本佐倉城主千葉宗家を凌ぐ勢力を誇っていたとされる。
1566年(永禄9)王子台に布陣した上杉謙信に攻められたが、後北条氏の援軍もあり、撃退している。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、落城し、千葉氏と共に原氏は滅んだ。その後徳川家康が関東に入国すると酒井忠次の子家次が入城し、1604年(慶長9)上野国高崎城に移ると廃城となった。
二の丸 二の丸・本丸間土橋 二の丸・本丸間空堀
内側から見る本丸虎口・土橋 本丸虎口土塁�� 本丸虎口土塁��
本丸 本丸南土塁 本丸北東虎口
本丸北東虎口に残る石垣 本丸からの眺め 二の丸・三の丸間土橋
二の丸・三の丸間空堀 三の丸に立つ太田図書助資忠墓 三の丸
三の丸西に建つ妙見社(星神社)
臼井城築城の際、鬼門の地に
創建された社の一つとされる
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円応寺・臼井氏累代墓
円応寺・臼井興胤(竹若丸)墓

参考文献 「現地案内板」
                      「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2007年1月
2021年11月