鳥羽城

鳥羽城(とばじょう)
三重県鳥羽市鳥羽3丁目
Mapion

--鳥羽城址--
別名 錦城
交通 各線「鳥羽駅」から徒歩15分。
築城年代 1594年(文禄3)
築城者 九鬼嘉隆
形式 平山城(海城)
主な城主 九鬼嘉隆・内藤氏
1156〜59年(保元年間)この地には橘氏の居館が在ったとされ、鳥羽殿と称していたという。
1594年(文禄3)その跡地に九鬼嘉隆により鳥羽城が築かれた。嘉隆は織田信長、次いで豊臣秀吉に従い、常に水軍の将として活躍、1597年(慶長2)2男守隆に家督を譲って隠居するが、1600年(慶長5)関ヶ原合戦の際、西軍に与した為、戦後自害した。東軍に与した守隆は戦功により5万5千石に加増されるが、1632年(寛永9)死去すると、3男隆季と5男久隆との間で家督争いが起こり、幕府の裁定により隆季は2万石で丹波国綾部、久隆は3万6千石で摂津国三田へ移された。
1633年(寛永10)3月、替わって内藤忠重が3万5千石で鳥羽に入封すると、二の丸・三の丸が増設され、近世城郭として整備された。
その後忠政・忠次と続き、1680年(延宝8)忠勝の時、芝増上寺において宮津城主永井尚長を殺傷する事件を起こして切腹を命じられ、内藤氏は断絶した。
内藤氏断絶後、幕府直轄領を経て、土井・松平(大給)・板倉・松平(戸田)氏と続き、1725年(享保10)下野国烏山城から稲垣昭賢が入城すると、稲垣氏が8代続き、明治を迎えた。
右手が家老屋敷跡 三の丸(城山公園) 鳥羽城詩碑
本丸石垣�� 本丸石垣�� 本丸

参考文献 「現地案内板」
                          「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2013年8月