館林城

館林城(たてばやしじょう)
群馬県館林市城町
Mapion

--土橋門--
別名 尾曳城
交通 各線「館林駅」から徒歩10分。
築城年代    
築城者 赤井照光
形式 平城
主な城主 赤井氏・長尾顕長・榊原康政
築城年代は諸説あるが、赤井照光により築かれたと伝わり、築城にまつわる伝説が残されている。当時大袋城主であった照光は舞木城へ年賀の途次、子供らに捕らわれていた子狐を助けた。その夜更け老翁が現れ、この地が要害堅固の地と説き、移転を勧めて姿を消した。そしてその年の七夕の夜、老狐が尾を曳いて城の縄張りを先導して夜が明けた。照光はこれにより築城したといい、尾曳稲荷神社が祀られている。
1560年(永禄3)城主照康の時、上杉謙信に攻められ、1562年(永禄5)2月9日、照康は降伏した。上杉氏は須田栄定を城代とし、足利城主5代長尾政長(当長・景長)に与えた。そして1569年(永禄12)太田金山城主由良成繁の2子である養子顕長に引き継がれ、館林城は太田金山城と共に北関東における一大勢力の拠点となった。
この頃顕長は成繁と共に後北条氏に属すようになり、館林城は上杉謙信に攻略され、武蔵国羽生城主広田直繁に与えられたが、顕長は間も無くこれを奪還した。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、顕長は小田原へ、館林城は城代南条因幡守が拠っていたが、石田三成率いる豊臣勢に包囲され、開城した。
同年関東に入国した徳川家康は館林を10万石で榊原康政に与え、北関東の守りとした。以後榊原3代・大給松平氏2代・徳川綱吉父子2代・松平・太田・井上・秋元氏と続き、秋元礼朝の時、明治を迎えた。
竜の井 三の丸に立つ城址碑 三の丸
文化会館・市役所敷地
三の丸土塁 土橋門 千貫門跡
二の丸 本丸土塁 八幡曲輪��
八幡曲輪��
旧秋元別邸
稲荷曲輪
尾曳稲荷神社
城沼
Mapion
善導寺
松平乗寿墓 榊原康政・大須賀忠政墓

参考文献 「群馬県の中世城館跡 群馬県教育委員会」
      「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2021年9月