地元の国人領主奥山氏累代の居城。1414年(応永21)奥山金吾正定則という侍が、由畿良親王を守護し、周智郡奥山に仮宮を設け、葛郷高根城を築いた事に始まると伝えられる。 1521〜28年(永正及び大永年間)今川氏親等から知行安堵状を得ている為、この頃には今川配下に組み入れられたと考えられる。 永禄年間後半頃になると、今川家没落、そして武田氏、徳川氏の台頭により、奥山支配は大きく変化する。1558〜70年(永禄年中)に信州の遠山土佐守に攻められ落城したと伝わる。また1569年(永禄12)には今川氏真・徳川家康双方から所領安堵状を、そして1572年(元亀3)には武田信玄からも安堵状を得ている。このような背景の中、奥山氏内部で今川・徳川・武田のどこに組するかで内紛が起こり、奥山家惣領家は滅亡、最終的に傍系が武田氏に組み込まれたと考えられる。 南信濃と北遠江を結ぶ主要街道を見下ろすこの高根城は、武田方の拠点として大改修が行われ、武田勢が在番していたと思われるが、1575年(天正3)長篠合戦後、徳川氏によって遠江から武田勢力が一掃されると、廃城になったと考えられる。 城址は発掘調査成果の下に復元され、中世の山城としては全国で初めて再現されたと言われている。 |