高城

高城(たかじょう)
宮崎県児湯郡木城町大字高城
Mapion

--松山塁麓から見る高城--
別名   
交通 JR日豊本線「高鍋駅」からバス「木城」下車。
バス停から徒歩5分。
築城年代 1335年(建武2)
築城者 新納時久
形式 山城
主な城主 山田新介有信
1335年(建武2)足利尊氏から新納院を与えられた新納時久が築いた。その後新納土持氏、伊東氏、そして1577年(天正5)伊東氏を豊後に追った島津氏が領有し、山田新介有信が入城した。
1578年(天正6)大友宗麟は伊東氏の旧領回復、そして日向国にキリシタン国を創るべく、5万の大軍を率いて日向国に侵攻した。
11月宗麟自身は務志賀本陣に留まり、田原紹忍、佐伯宗天らを高城に向かわせた。大友勢は高城に対峙する台地に野久尾ノ陣・松山塁本陣・田間之陣・河原之陣・松原之陣の5つの陣を設け、山田有信以下僅か5百名が拠る高城を包囲して城下に火を放ち、松山塁からは2門の国崩を用い攻めるが、有信は島津家久1千人の援軍もあり守りきった。
1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐の際にも、高城は秀吉の弟秀長率いる8万の大軍に包囲されている。高城城兵は有信以下3百、寄騎を合わせても1千5百程度の兵であったが、この際にも秀吉に降伏した島津義久の説得により開城するまで落城しなかった。
唯一の尾根続きである西側にはいく
つか堀切・竪堀が設けられている
竪堀�� 竪堀��
本丸から東、松山塁方面 本丸から南西、根白坂方面 南から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                        「大分・宮崎・愛媛の城郭 新人物往来社」
              「歴史群像シリーズ 学研」 
訪城回数 1
2008年1月