![]() 徳島県板野郡藍住町勝瑞東勝地 --城址・見性寺-- |
| 別名 | 阿波屋形・下屋形 |
| 交通 | JR高徳線「勝瑞駅」から徒歩10分。 |
| 築城年代 | 室町時代中期 |
| 築城者 | 細川氏 |
| 形式 | 平城 |
| 主な城主 | 三好義賢・十河存保 |
| 室町時代中期、秋月城に本拠を構えていた阿波守護職細川氏が勝瑞に移り、その頃築かれたと考えられる。(時期については諸説あり、1363年(貞治2)細川詮春の頃という説も) 勝瑞城を中心に守護町が形成され、京都の管領屋敷に対し、阿波屋形又は下屋形とも呼ばれており、阿波の政治・文化の中心として栄えた。 1553年(天文22)家臣であった三好長慶の弟義賢が細川持隆を討って、勝瑞城を奪い、その実権を握ると、以後勝瑞城は三好氏本拠として堺や兵庫方面へ渡海する重要な拠点となった。 1582年(天正10)長宗我部元親は2万3千の兵を率いて阿波に侵攻する。8月27日、吉野川南岸の中島に陣し、28日中富川に討って出た。勝瑞城を守る十河存保(三好存保)以下5千も討ち出て勝興寺に陣し、中富川を挟んで相対した。しかし三好方は次々と有力な武将が討死する等、壊滅的な打撃を受け、勝瑞城に敗走した。9月27日、籠城の末に存保は讃岐へ退き、勝瑞城は落城した。 その後1585年(天正13)蜂須賀氏が阿波に入国すると、徳島城築城に際し、寺院や石材等が運ばれて町は衰退した。 これまで勝瑞城は、細川氏の守護館を三好氏が踏襲したものと考えられていたが、近年の調査では十河存保(三好存保)が長宗我部氏の侵攻に備える為に築城したという見方もされている。 |
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| 水堀�� | 水堀�� | 土塁 |