1429〜41年(永享年間)関東管領山内上杉憲実の家宰長尾景仲により築かれたとされ、白井長尾氏居城として続いた。 1473年(文明5)白井長尾景信が亡くなると山内上杉顕定は家宰職を総社長尾忠景に与えた為、景信の子である景春は反乱を起こし、白井城は一時越後上杉氏が駐留する事となるが、1505年(永正2)景春は白井城に復帰した。 1560年(永禄3)上杉謙信が関東に出陣すると白井長尾氏はいち早く参陣し、その後白井城は上杉氏の関東出陣における拠点となった。 1566年(永禄9)武田信玄による西上野侵攻により箕輪城は落城し、翌年総社長尾氏の蒼海城も落城、白井城も真田幸隆・信綱父子に攻め落とされ、城主長尾憲景は八崎城に逃れた。その後白井長尾氏は白井城に復帰するが、1582年(天正10)まで武田氏の支配下に置かれた。 1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、長尾政景(景広)が守ったが、前田利家らに攻められ開城した。そして徳川家康が関東に入国すると、本多広孝・康重が城主となり、この頃に現在の姿に整備されたと考えられる。 1616年(元和2)西尾忠永、1618年(元和4)本多紀貞が入城するが、1623年(元和9)紀貞が病没すると、跡継ぎが無かった為に改易となり、白井城も廃城となった。 |