白井城

白井城(しろいじょう)
群馬県渋川市白井
Mapion

--本丸北三日月堀--
別名  
交通 各線「渋川駅」から徒歩25分。
築城年代 1429〜41年(永享年間)
築城者 長尾景仲
形式 崖端城
主な城主 白井長尾氏・本多氏
1429〜41年(永享年間)関東管領山内上杉憲実の家宰長尾景仲により築かれたとされ、白井長尾氏居城として続いた。
1473年(文明5)白井長尾景信が亡くなると山内上杉顕定は家宰職を総社長尾忠景に与えた為、景信の子である景春は反乱を起こし、白井城は一時越後上杉氏が駐留する事となるが、1505年(永正2)景春は白井城に復帰した。
1560年(永禄3)上杉謙信が関東に出陣すると白井長尾氏はいち早く参陣し、その後白井城は上杉氏の関東出陣における拠点となった。
1566年(永禄9)武田信玄による西上野侵攻により箕輪城は落城し、翌年総社長尾氏の蒼海城も落城、白井城も真田幸隆・信綱父子に攻め落とされ、城主長尾憲景は八崎城に逃れた。その後白井長尾氏は白井城に復帰するが、1582年(天正10)まで武田氏の支配下に置かれた。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、長尾政景(景広)が守ったが、前田利家らに攻められ開城した。そして徳川家康が関東に入国すると、本多広孝・康重が城主となり、この頃に現在の姿に整備されたと考えられる。
1616年(元和2)西尾忠永、1618年(元和4)本多紀貞が入城するが、1623年(元和9)紀貞が病没すると、跡継ぎが無かった為に改易となり、白井城も廃城となった。
北曲輪櫓台跡に建つ城山不動尊 北曲輪 三の丸
二の丸・三の丸間土橋 二の丸・三の丸間空堀�� 二の丸・三の丸間空堀��
二の丸 本丸・二の丸間土橋 本丸・二の丸間空堀
本丸虎口 本丸虎口石垣 本丸に立つ案内板
本丸 本丸南土塁 笹曲輪
二の丸東空堀 本丸東空堀 本丸東土塁(帯曲輪)
南曲輪 Mapion
玄棟院(長尾憲景開基)
西から南にかけて流れる吾妻川

参考文献 「関東の名城を歩く 北関東編 吉川弘文館」
     「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2006年9月
2022年5月