小田原城

小田原城(おだわらじょう)
神奈川県小田原市城内
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--天守閣--
別名  
交通 小田急線「小田原駅」から徒歩10分。
築城年代 14世紀末頃
築城者 土肥氏か
形式 山城・平山城の複合
主な城主 後北条氏
小田原城の起源については諸説あり、不明な点が多い。伝承によると14世紀末頃、小田原は土肥氏が治めていたが、1416年(応永23年)上杉禅秀の乱の際、土肥氏は上杉禅秀(氏憲)に加担した為、足利持氏方に付いた大森頼明(顕)が治めるようになったとされる。
1495年(明応4)韮山に挙兵した伊勢宗瑞(北条早雲・伊勢新九郎盛時)が大森藤頼を敗走させると、小田原城は後北条氏5代の居城となる。
後北条氏は勢力の拡大に伴い城を拡張し、戦国時代末期の小田原城は全周約9キロに及ぶ総構が城下町を包み込むまで発展していた。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めにより開城すると、関東に入国した徳川家康家臣である大久保忠世が入城した。その後城主は目まぐるしく替わり、1685年(貞享2)稲葉正往が越後国高田城に移ると、翌年大久保忠朝が下総国佐倉城から入城し、明治まで大久保氏が続いた。

小田原城
大手門跡・鐘楼 幸田口門付近土塁
後北条氏時代からの遺構
水堀・隅櫓
二の丸城門 二の丸御殿跡 本丸東堀
常盤木門 天守閣 小峯曲輪(雷曲輪)空堀
後北条氏時代からの遺構

小田原古城
東から八幡山東曲輪遠望 Mapion
八幡山(現小田原高校付近)
この一帯が初期の小田原城の
中心であったとされる
御前曲輪
人質曲輪という別称もある
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小峯御鐘ノ台土塁
小峯御鐘ノ台大堀切�� 小峯御鐘ノ台大堀切��
御鐘ノ台
地名の由来は陣鐘が置かれて
いた為といわれる
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早川口・二重堀遺構
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北条氏政・氏照墓所

参考文献 「現地案内板」
                      「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 4
2006年3月
2008年2月