1140年(保延6)高野山大伝法院を創始した覚鑁上人が高野山金剛峯寺方との争いを避ける為、この地に移り、後に円明寺を創建した事に始まり、1288年(正応1)高野山から大伝法院や密厳院の寺名を移し、本格的に根来寺が成立していく。 戦国時代に入り、紀伊国では高野山金剛峯寺・根来寺・粉河寺等の寺院勢力や太田党・湯河氏等の土豪勢力が互いに抗争を展開する。根来寺は紀伊国北部・和泉国南部の土豪勢力と結び、根来衆と呼ばれる武装する僧兵集団として勢力を伸ばした。また種子島に伝来した鉄砲にいち早く着目し、戦国大名に匹敵する勢力を誇った。 1570年(元亀1)織田信長と石山本願寺との10年に及ぶ石山合戦が始まると根来衆は信長方として戦い、紀州征伐にも従うが、信長没後、羽柴秀吉と対立するようになり、1584年(天正12)小牧・長久手合戦の際、太田・雑賀・根来三党は連合し、和泉国岸和田城を攻めた。 1585年(天正13)秀吉による紀州征伐が開始される。3月21日、岸和田城に入城した秀吉は和泉国千石堀城等、連合軍の拠点を落とし、次いで風吹峠・桃坂の二手から根来寺を攻めた。この襲撃により大塔等、一部を除いて大部分が炎上し、焦土と化した。 根来寺は西側に開口する小盆地状の地形に位置する。坊院内には石垣や掘割が見つかっており、また根来寺背後の北山一帯や南方の前山稜線上等、周囲を取り囲む城塞施設の存在も確認されている。 |