前橋城

前橋城(まえばしじょう)
群馬県前橋市大手町1丁目
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--城址遠望--
別名 厩橋城
交通 JR両毛線「前橋駅」から徒歩20分。
築城年代 1489年(延徳1)頃
築城者 長野賢忠
形式 平城
主な城主 北条高広・酒井氏・松平氏
元々この地には1485年(文明17)蒼海城主総社長尾氏が築いた石倉城が在ったとされるが、度重なる洪水により往時東側を流れていた利根川主流が現利根川の流路である西側に移った事で押し崩された。この頃総社長尾氏は衰退期で、箕輪城主長野氏が台頭すると、1489年(延徳1)頃、長野業政の叔父である長野賢忠(固山宗賢・長野方業)が東上州進出の拠点として、崩れた石倉城の残部を基礎とし新城を築いた。これが前橋城で、当時は厩橋城と呼ばれていた。
1560年(永禄3)長尾景虎(上杉謙信)が厩橋城に進出した後、上杉氏家臣北条高広が城代となるが、その後戦略的な要衝である厩橋城を巡り、武田・上杉・後北条氏の間で攻防が繰り広げられた。
1582年(天正10)武田氏滅亡後、織田信長の部将滝川一益が入城し、関東管領を称すが、本能寺の変後、本国に帰国すると、後北条氏が接収する。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、厩橋城は浅野長政に攻められ落城した。
徳川家康が関東に入国すると、平岩親吉が3万3千石で入り、次いで酒井重忠が入封、以後9代酒井氏が続いた。1749年(寛延2)酒井氏が姫路に移ると、松平朝矩が入るが、酒井氏時代以降、利根川の激流による城郭の破壊が進み、修復に苦しんだ松平氏は1767年(明和4)川越に移城し、前橋城は廃された。
その後1863年(文久3)江戸東北の固めとして再築され、1867年(慶応3)に完成するが、僅か半年で大政奉還となった。
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車橋門跡碑
車橋門跡 車橋門跡石垣
県庁周辺に残る土塁�� 県庁周辺に残る土塁�� 土塁上に立つ城址碑

参考文献 「日本の城 小学館」
                    「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2006年9月
2014年5月