古河公方館

古河公方館(こがくぼうやかた)
茨城県古河市鴻巣
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--館址碑--
別名 鴻巣御所・鴻巣館・古河御所
交通 JR東北本線「古河駅」から徒歩25分。
築城年代 1455年(享徳4)頃
築城者 足利成氏
形式 館
主な城主 足利成氏
室町幕府8代将軍足利義政の頃、関東では反幕府勢力が増大していた。
1455年(享徳4)5代鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉憲忠との対立に始まる享徳の乱が起こり、成氏は将軍の命を受けた駿河国今川範忠に鎌倉を追われると、この地へ移り、古河公方を称した。この時御所として館が築かれたが、1457年(長禄1)古河城を修築して移った。
古河公方は成氏の後、政氏・高基・晴氏・義氏と5代続くが、この館は古河城の別邸・出城として利用されたと考えられ、1568年(永禄11)後北条氏後見の下、義氏が古河に移った際、在宿したという。1583年(天正11)義氏は没するが、男子が無かった為、後北条氏は義氏の女氏姫を後嗣とし、鴻巣御所と称させた。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めにより後北条氏が滅亡すると、古河公方足利氏の名跡を惜しんだ秀吉は氏姫を小弓御所頼純の長男国朝に嫁がせ、1593年(文禄2)国朝の病没後は国朝の弟頼氏に再び嫁がせ、義親が生まれた。しかし氏姫と義親は古河公方嫡流である事から喜連川に移る事を拒み、引き続きこの地に居住した。1627年(寛永4)義親没後、義親の子である尊信も引き続き居住したが、1630年(寛永7)頼氏死去に伴い、喜連川へ移ると御所は廃止となった。
現在館址とその周辺は古河総合公園として整備されている。御所沼の中に突き出た半島状の台地上に位置し、「公方様の森」と呼ばれる主郭に堀切・土塁が残されている。ここから東に二郭・外郭が在ったとされるが、古民家園や駐車場となっており、遺構は不明。周辺には古河公方ゆかりの徳源院跡や松月院跡等があり、足利氏墓所が残されている。
二郭・古民家園 二郭・主郭間堀切�� 二郭・主郭間堀切��
主郭 主郭・胞衣松 主郭・天神松
西・御所沼対岸から遠望 北・御所沼 Mapion
徳源院跡・5代足利義氏墳墓
徳源院跡・伝足利氏姫墓 氏姫の子足利義親(喜連川)墓塔 Mapion
松月院跡・御所塚
二基の宝篋印塔の内一つは
足利義親室(榊原康政養女)墓塔と
推定される
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満福寺・足利成氏開基
満福寺・足利成氏墓 Mapion
雀神社
古河公方家の崇敬を受けた

参考文献 「現地案内板」 
                        「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2006年12月
2023年10月