川越夜戦

川越夜戦)
埼玉県川越市志多町

1546年(天文15)
北条氏康×扇谷・山内上杉氏・足利晴氏
Mapion

--東明寺・古戦場碑--
交通 西武新宿線「本川越駅」から徒歩20分。
1537年(天文6)北条氏綱は扇谷上杉朝定本拠である川越城を攻略し、朝定を松山城へ追うと、北条綱成を城代として川越城に置いた。
その後1541年(天文10)氏綱が病没すると、朝定は川越城奪還を企てるが失敗した。
1545年(天文14)7月、北条氏康と今川義元の対立は関東の反北条勢力の動きを誘った。9月朝定は山内上杉憲政・古河公方足利晴氏らと結び、憲政は城山砦に、晴氏は砂久保に布陣し、綱成以下3千が拠る川越城を8万といわれる大軍で包囲した。翌年4月1日、氏康は8千の兵を引き連れ救援に向い、20日夜、奇襲を行うと連合軍は大敗北を喫す。朝定は討死し、扇谷上杉氏は滅亡、憲政は上州平井へ敗走し、晴氏も下総国古河へ撤退した。これにより関八州は後北条氏が領有するところとなった。
この地の要路松山街道を含んだ東明寺寺領と境内で争われた為、東明寺合戦ともいわれる。

参考文献 「現地案内板」
                「歴史群像シリーズ�� 学研」
2006年4月