烏帽子形城

烏帽子形城(えぼしがたじょう)
大阪府河内長野市喜多町
Mapion

--本丸南横堀--
別名      
交通 各線「河内長野駅」から徒歩20分。
築城年代 1332年(元弘2)
築城者 楠木正成
形式 山城
主な城主 甲斐庄正治
1332年(元弘2)楠木正成により赤坂城の出城として築かれたといわれ、高向氏が拠った。1346〜70年(正平年間)楠木正儀・正勝・正秀らが居城したと考えられ、北朝方畠山国清も一時この城に拠り、両朝の間で争奪が繰り返されたと思われる。
1467年(応仁1)御霊林合戦に始まる応仁の乱の時、付近一帯は度々戦場となり、石川氏・甲斐庄氏(義就被官)等が入城している。
1532〜55年(天文年間)甲斐庄隆成の時、畠山定国に攻められ落城した。
1570〜73年(元亀年間)キリシタン大名である城主甲斐庄正治は徳川家康に召し出され、一時河内を離れている。1584年(天正12)烏帽子形城は岸和田城の支城として中村一氏により改修され、南河内の拠点として機能した。その後正治の子正房は関ヶ原合戦等に参陣し、大坂の陣には河内案内者として従軍、その功により錦部郡に2千石を与えられ、徳川氏旗本となり、再びこの地に戻るが、正房を最後に間も無く烏帽子形城は廃城となった。
城址は烏帽子形公園として整備されており、本丸を中心にコの字状に設けられた大規模な横堀・土塁が良く残されている。東下には居館跡と考えられる烏帽子形八幡神社が建つ。
東下に建つ烏帽子形八幡神社 本丸北横堀�� 本丸北横堀��
本丸東横堀 本丸南下横堀 本丸下帯曲輪
本丸�� 本丸�� 本丸からの眺め

参考文献 「現地案内板」
                    「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2017年1月